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上原浩治
ブログからのネタの種
- 清水昭に初完投勝利献上
- 。球団フロントの、編成能力の差も順位に表われてますね。明日は、久しぶりに一軍に上がる 吉見一起 投手が予想されていますが、 上原浩治 投手といい、 佐藤由規 投手といい、 横浜 戦で何かきっかけを掴んでほしいという意図がありありですね。舐められてますよ
2008/09/06 23:35:35 [BayStars CIRCLE] - WBC監督よりも忘れていること
- WBC監督よりも忘れていることがあります。宮本が代表引退 上原もWBC不参加へ 日本代表の主将を務めた宮本慎也内野手、国際大会25戦無敗の記録を持つ上原浩治投手。この2人が参加しないとなると他にも参加辞退が続出する?
2008/09/06 11:30:23 [子育て主婦の日々思うこと] - WBC監督よりも選手が辞退する
- WBC監督よりも選手がWBCを辞退しそうですね。星野ジャパンのGG佐藤みたいになりたくないですからね。ヤクルト宮本慎也、巨人上原浩治などベテランも辞退ですから日本は負ける
2008/09/06 09:00:00 [由紀子のblog日記] - 【softbank】【お前ら】インターネットを通じた香川いじめ
- 11(月) 16:41:34.39 ID:xnb3cwOs0 イチローはギャグとか飛ばさないほうが巨人のエースが真っさらなマウンドに戻ってくる。上原浩治投手(32)が、1日のソフトバンク戦(ヤフードーム)で他球団相手としては513日ぶりに先発登板する。新球のシュートでソフトバンク
2008/09/06 01:53:47 [softbank] - [NPB]ジャイアンツ vs カープ 19回戦
- vs 広島東洋カープ 19回戦 読売ジャイアンツvs広島東洋カープ19回戦を 地上波 で テレビ 録画 観戦 した。広島東洋カープの先発高橋建投手、読売ジャイアンツの先発上原浩治投手とも制球が甘く、乱打戦の試合になった。結果ジャイアンツが1点差での勝利となった。高橋建投手に勝ち負けは
2008/09/05 22:25:44 [おぉ!次郎ブログ] - ソフトボール上野選手の値打ち
- の韓国人助っ人。拝金主義におぼれて実力に見合わない年俸では ないかとぶかしがってしまう。星野JAPAN年収一覧 岩瀬仁紀 5億4000万円 上原浩治 4億2000万円 川上憲伸 3億4000万円 藤川球児 2億8000万円 阿部慎之助 2億4000万円 稲葉篤紀 2億4000万円 矢野輝弘 2億2000万円 青木宣親 2億2000万円 和田毅 2億2000万円 ダルビッシュ有 2億0000万円
2008/09/05 00:45:25 [IPOと私] - 《softbank》【お笑い】キングコング・西野(
- のアドレスとして登録できるようにしてください。検討 検討します はてなアイデア - idea:20367対策済みと巨人のエースが真っさらなマウンドに戻ってくる。上原浩治投手(32)が、1日のソフトバンク戦(ヤフードーム)で他球団相手としては513日ぶりに先発登板する。新球のシュートでソフトバンク
2008/09/04 22:41:22 [softbank] - 上原
- 上原浩治が先発すると聞き、京セラドームの巨人・広島戦に行って来ました。投げた瞬間グルリと後ろを向いてマウンドを蹴り上げたペタジーニ涙の敬遠から、九年。読売なのに“雑草魂"。“雑草魂"が読売で九年。四月にFA権を取得し
2008/09/04 10:56:19 [Paradise Found!] - 【巨人】上原6回4失点も復調手応え
- <巨人10-9広島>◇3日◇京セラドーム 巨人の先発上原浩治投手(33)は、6回を投げ4失点も内容には復調の兆しがあった。3回にライナーを右足すねに受けたが力投。5回、アレックスに浴びた3ランは直球が甘く入ったが、それ
2008/09/04 07:30:42 [ユキナの日記] - ゲーム差5
- 昨日の試合は 乱打戦だった 先発 上原浩治 回 失点 (~〜~;)(もう少しだよ) 回 にラミネス 号スリーラン そしてこの男 小笠原 みごと 『サイクル安打』 達成おめでとう - 巨人の粘り勝ちです 阪神とのゲーム差も となりました
2008/09/04 06:24:49 [ヤマ素ヤマさんのブログ]
はてブ注目エントリーからのネタの種
- 北京五輪開幕式“空飛ぶ聖火点灯”に2016年東京五輪“空飛ぶ鉄腕アトム”点火案パクリ疑惑��livedoor スポーツ
- 北京五輪は現地時間8日午後8時(日本時間同9時)、北京市北部の国家体育場(愛称・鳥の巣)で開会式が行われ、花火計約2万9000発が打ち上げられるなどド派手に開幕した。中国テイストたっぷりの幻想的なアトラクションにも目を奪われたが、計4時間にわたる開会式の最後の最後でアッ! と驚いた。空飛ぶ最終聖火ランナーのことだ。2016年夏季五輪招致を目指す東京の秘策“空...
2008/09/07 01:26:38 [] - スポーツナビ|野球|北京五輪| セ・リーグ選抜 vs. 日本代表 [2008年8月9日]
- 北京五輪で金メダルを目指す星野仙一監督率いる野球日本代表は9日、東京ドーム(14時試合開始)でセ・リーグ選抜と強化試合を行う。五輪を控え、最後の実戦となる日本代表は勝利で気持ち良く北京に旅立ちたいところ。また、試合後は星野監督がファンへあいさつをする予定。 日本代表は和田毅が先発し3イニング、継いで川上憲伸が2イニングを投げる。その後、...
2008/09/07 01:26:38 [] - スポーツナビ|野球|プロ野球|阪神首位奪回の立役者・藤川のすごみ プロ野球データ分析2007 Vol.18
- 阪神が8月30日から破竹の10連勝。9月8日には巨人を抜き去り、ついに首位に立った。阪神は交流戦を終えて、リーグ戦が再開された6月29日時点では首位と12ゲーム差も開いていた。これは、“メークドラマ”で話題となった1996年の長嶋巨人の11.5ゲーム差を抜いて、過去最大の逆転劇である。この10連勝の立役者は、何と言っても抑えの切り札・藤川...
2008/09/07 01:26:38 [] - 世界に広がる日本のカンチョー、韓国のカンチョって何? / デジタルARENA
- カンチョーっていうちょっと変な子どもの遊び。それがワールドワイドに広がっているらしい。そしてその情報をインターネットが結びつけてますます不思議な世界を繰り広げている。カンチョーがとりもつワールドワイドな情報をご紹介しよう。 ■アニメNARUTOの影響で全世界にカンチョーが広がる Livedoorニュースで読むことができるファンキー通信の記事世界「KANCHO」ブーム到...
2008/09/07 01:26:38 [] - livedoor ニュース - 【ファンキー通信】世界「KANCHO」ブーム到来か?
- 「ベンチの中でイチローさんにカンチョーしたりしてました」 いささかおマヌケなコメントではあるが、このコメントはワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日本が有終の美を飾った直後の、上原浩治投手(巨人)の発言である。 「カンチョー」と言っても、肛門に注入する薬ではなく、人指し指と中指を突き出した状態で両手を組み、肛門めがけて思いっきり突き上...
2008/09/07 01:26:38 [] - スポーツナビ | WBC | トピックス “日本のシンボル”イチローにSo long!
- 勝った瞬間、イチローは二度、三度、右手でガッツポーズを取った。小走りで、内野にできた歓喜の輪に加わる。念願だった王貞治監督の胴上げにも加わると、相好を崩した。「数字を残しただけの人ではない。こんな人は見たことがない」 そんな監督の重み、イチローはどう感じていただろうか。 その後、キューバの選手と握手。彼らからは記念撮影を求められる程の人気。...
2008/09/07 01:26:38 [] - 上原浩治オフィシャルサイト + kouji19.net +
- 上原浩治の初めての自叙伝本となる「我慢」が3月25日に、ぴあから定価1、400円(税込)で発売! 詳しくはコージーコーナーをご覧ください。
2008/09/07 01:26:38 [] - 1975年(昭和50年)前後生まれの原風景
- 割と変わり者で通っていた私ですが、この年代がどのように育ってきたかについて、私の理解している範囲でポイント毎に説明しようと思います。いずれは経済や政治の分野で主導権を握ることになりうるので、今のうちに整理しておくことは意義があると思っています。 ●団塊Jrより下の世代 団塊Jrのピークは昭和47年前後、それよりも我々は少し世代が下で、出生率が...
2008/09/07 01:26:38 []
Wikipediaサマリーなネタの種
上原 浩治(うえはら こうじ、1975年4月3日 - )は、読売ジャイアンツに所属するプロ野球選手(投手)。座右の銘は「雑草魂」。
経歴
[編集] プロ入り前
* 実父が監督を務める少年野球チーム「寝屋川アスナローズ」で野球を始める。寝屋川市立第十中学校では野球部が無かったため、アスナローズで野球を続けながら、陸上部に所属した。
* 東海大学付属仰星高等学校野球部では外野手兼建山義紀の控え投手だった。ラグビーの大畑大介・建山とは同級生で同じクラスだった。
* 1浪して大阪体育大学に進学後、投手に専念すると頭角を現し、阪神大学リーグにおいてリーグ優勝5回(1年春、2年春秋、3年秋、4年春)に貢献するなど、4年間で36勝4敗、最優秀投手賞4回、特別賞2回という成績を挙げた。
* 大学3年時に日本代表に選ばれた1997年のインターコンチネンタルカップ決勝で、当時国際大会151連勝中だったキューバ相手に先発して勝利投手となった。
* 以降松坂大輔と並ぶドラフトの目玉とみなされ多くの球団が獲得に乗り出し、最終的にはメジャーリーグのアナハイム・エンゼルスと読売ジャイアンツでの争奪戦となったが、結局周囲の説得などもあり1998年ドラフトで読売ジャイアンツに1位指名(逆指名)され、入団する。
[編集] プロ入り後
* 1999年
o 4月4日の阪神戦でプロ初登板。
o 4月13日の広島戦でプロ初勝利を挙げる。
o 5月16日の横浜戦でプロ初完投。
o 9月14日の中日戦でプロ初完封。
o 5月30日から9月21日まで、15連勝。これは歴代4位タイで、新人投手の記録としては1966年に堀内恒夫が記録した13連勝を33年ぶりに更新する。最終的には20勝4敗の成績を上げ、両リーグを通じて1990年の斎藤雅樹以来9年ぶり、新人投手としては1980年の木田勇以来19年ぶりの20勝投手となる。この年最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最高勝率の投手主要4部門を制し、史上9人目、新人としては史上3人目の投手4冠を達成する。また、新人王と沢村賞も受賞する。
* 2000年7月2日の広島東洋カープ戦で右太もも肉離れを起こし登録抹消。事故や転倒なども重なり9勝7敗に終わる。
* 2001年4月13日の横浜ベイスターズ戦で今度は左太ももの肉離れで離脱。早期復帰を果たすも万全でなく、後半戦では右ひざの故障もあって低迷。2年ぶりに2ケタ勝利するものの、防御率は自身最低の4.02に終わる。
* 2002年
o 200イニング登板を達成(204イニング)し17勝5敗の好成績で最多勝、沢村賞、ベストナインを獲得、優勝に貢献する。
o 西武との日本シリーズ第1戦に先発し、12奪三振・1失点完投勝利の快投でチーム史上初の4連勝日本一に貢献。優秀選手賞を獲得。
o シーズン後に行われた日米野球に登板、当時絶頂期であったバリー・ボンズから3打席連続三振を奪い、メジャーリーグスカウトの注目を集める。バリー・ボンズは選球眼がよく、三振をあまりしないことでも有名な打者であった。
* 2003年、2年連続で200イニング登板を達成し16勝5敗。7月20日から8月29日にかけて7試合連続完投勝利を挙げるなどの活躍で最多勝争いに加わるが、最終的には20勝を上げた井川慶に軍配。
* 2004年
o 長嶋ジャパンの一員として、アテネオリンピック野球日本代表に選出。防御率0.50で銅メダル獲得に貢献。五輪とケガで一時戦列を離れていたものの、シーズンは13勝5敗と二桁勝利もあげ、防御率2.60を記録し2度目の最優秀防御率も受賞。
o 9月14日に元モデルの山﨑美穂と結婚。
* 2005年は年間を通して不調に苦しみ、9勝12敗で自身初めてのシーズン負け越し。
* 2006年
o シーズン開幕前に行われたワールド・ベースボール・クラシックには日本代表として3戦2勝、優勝に貢献。
o 8月25日の阪神戦で、191試合目での100勝を達成(ドラフト制以降では松坂大輔と並ぶ最速タイ)。
o しかし全体的に調子は上がらず、援護にも恵まれなかったこともあり8勝9敗で2年連続1桁勝利で負け越す。
* 2007年
o 故障による出遅れと、抑えの豊田清の不調が重なり、抑えとして一軍に合流。5月2日、中日ドラゴンズ戦でプロ初セーブを挙げた。
o 8月29日のヤクルトスワローズ戦では球団新記録の月間11セーブをマークした。これは1997年に横浜ベイスターズの佐々木主浩が挙げた14セーブに次ぐ記録である。
o 9月26日、中日ドラゴンズ戦でこれも球団新記録となる31セーブを挙げた。プロで20勝を挙げ30セーブを記録した投手は江夏に次ぎ史上2人目である。
o 最終的に2007年は55試合に登板し、4勝3敗、セリーグ3 位となる32セーブを挙げる。防御率も1.74と安定感抜群の投球を見せ、長らく不在だった磐石の抑え投手としてチームの5年ぶりの優勝に貢献した。序盤に出遅れたものの、オールスター前後に林・会田が故障で登録抹消され、豊田も離脱した終盤は連日複数イニングを投げ、MVP級の働きをみせた。
o 中日を迎えた2007年クライマックスシリーズ・セカンドステージでは第2戦・第3戦に登板したものの、シーズンにも無かったビハインドの場面に登板。レギュラーシーズンで12試合登板無失点7セーブを記録していた中日打線にも李炳圭にソロ本塁打を浴びるなど追加点を許し、3連敗でのクライマックスシリーズ敗退後はベンチで号泣した。
シーズンオフは初めて巨人の後輩(西村健太朗)を伴い自主トレを行った。2008年は、抑えとしてクルーン投手の獲得などもあり、2年ぶりに先発に復帰することが確実。
[編集] プレースタイル
* トルネード投法気味のノーワインドアップから投げられる、140km/h前後ながら伸びと角度のある直球に、スライダー、カットボール、数種類のフォークを操り、ごくごく稀に100km/h台のカーブを混ぜる。2008年のキャンプではシュートボールを練習し、習得しようとしている。
* 抜群の制球力とスタミナを武器にしたテンポの良い投球が持ち味。投球の大半が直球とフォークのコンビネーションを基本とし、狙って三振を取る能力も高い。
* 上原は得意のフォークボールを、大小の落差・スライダー回転・シュート回転など軌道が異なるものを意図的に内外角のコースへ投げ分けることが可能で、先発として殆ど直球とフォークのみで投球を組立てられる器用さを持っている。しかし、フォークボールを覚えたのはプロに入ってからで、それまでのアマチュア時代は、典型的なスライダー投手だった。「フォークを覚えたらスライダーの投げ方が分かんなくなっちゃった(本人談)」ためプロ入り後数年にわたってスライダーを封印し、現在の投球スタイルを確立した。
* 彼の制球力の高さはそれが困難なフォークといえど同じである。そのためフォークを武器とする投手としては暴投も少なくなっている。これは塁上、特に三塁にランナーがいるなど暴投のリスクからフォークを使いにくい場面でも、得意の武器を失うことにならないという点で大きい。
* 直球は一時MAX150km/hに届こうかという速さだったが、フォームを現在のものに改造してからは135~140km/h前後になった。ただし、その140km/h前後のボールを各バッターが振り遅れることも多い。上原はテイクバックが小さいフォームにも拘らず、スピンが利いたボールであるため打者に実際の球速以上の体感速度を感じさせる、いわゆるノビのある球を投げるためである。そのスピンの利いた「空振りを取れるストレート」も、その投げ方はたとえチーム内にも企業秘密としている。
* 投球間隔の短さとストライク先行の投球スタイルから、上原の投げる試合は早く終わる傾向がある。上原相手に追い込まれると圧倒的に不利になるため、打者が早いカウントから打ちに行くことも、この傾向を助長している。1999年7月4日の横浜ベイスターズ戦では1時間59分、2005年5月10日のオリックス・バファローズ戦では2時間7分という短時間で完投勝利を挙げた。
* 与四球が非常に少ない反面、本塁打を打たれる傾向があるのも上原の大きな特徴である。しかし前述の通り、四球の少なさにより塁にランナーを溜めることも減るため、大きな痛手になることは少ない(巨人投手陣は狭い東京ドームをホームに背負っているため、この傾向はある程度共通している)。
* 投手としては高い打撃能力も持っており、投手の打者には最も難しいといわれる速球を見事にライト方向に打ち返すなどという場面も見られる。2003年には投手ながら本塁打を放っているが、このシーズンはいわゆる「飛ぶボール」が使用されたシーズンでもあり、投手でも本塁打が打ててしまうことを嘆いていた。
* 2007年に限り抑え投手をすることになったが、そこでも安定感抜群の活躍で優秀な成績を修めたことで、先発・リリーフの両面に高い適性を持つことを示した。リリーフ自主トレに同伴した西村健太朗(イニングイーター的な役割は果たしたものの信頼度は低かった)は「上原さんのように満場の歓声(信頼)の中で登板する投手になりたい」と語っている。
エピソード
* 背番号の19は、大学受験に失敗し浪人生活を送った19歳の1年間を忘れないようにという意味が込められている。
* 昼は練習、ジムでの筋肉トレーニング、夜は工事現場でアルバイトして学費を稼ぐという苦学生であった。
* 自分自身を雑草に喩えた「雑草魂」という言葉は、松坂大輔の「リベンジ」と共に1999年の流行語大賞に選ばれた。「雑草魂」は鈴木啓示の座右の銘「草魂」からきている。
* プライベートでは大の阪神ファンで、BRAVOでは、遠藤章造の阪神に来ないか?という質問に、行きたいけどオファーが来ない、と冗談で答えた。
* ロジャー・クレメンスに強い憧憬の感情をもっており、現在の投球フォームも彼を強く意識したものである。
* 同い年の川上憲伸とは互いを認め合う仲で、川上はカットボール、上原はフォークとお互いの勝負球の握り方などの情報を交換し合っている。ただし両者はペナントレースでは敵同士であるため、この件に関して一部の解説者が苦言を呈している。
* 黒田博樹とも仲が良い。黒田が受けた肘のクリーニング手術を受けるべきかと聞いて、「絶対にやるべき、4月に」と言われ「開幕しているじゃないですか」と笑いながら返すなど、2人の仲の良さが窺えた。2006年オフ、黒田がFA権を取得しながらも広島残留を表明した時には「メール出したんだけどなぁ、巨人に来て欲しかったんだけどなぁ」とラジオ番組でぼやいていた。
* 松井稼頭央とも年齢、地元が同じなことから親交がある。巨人対西武の対戦となる2002年の日本シリーズ前には、お互いに意識している旨のコメントをしていた。
* 居間に、松井秀喜からもらった「上原、一生懸命投げろ」と書かれた色紙を飾っている。
* 選手の先頭に立ち、球団にも言うべきことははっきりと言う。旧来の伝統から、優等生的な振る舞いが求められがちな巨人の選手にあっては稀な存在であり、本人も「他の選手からもよく『ジャイアンツっぽくない』と言われますよ」と話すなど、自覚があっての言動らしい。「俺がチームの中で一番練習している」、「はっきり言って若い奴らには負ける気がしない」、「プロに入ったということで満足している奴らが多すぎる」、「ジャイアンツだ、というだけで生き残っていける時代は終わったんです」と、チームに喝を入れるような厳しい発言を多くしている。
* チームメイトの高橋由伸とは、生年月日が一緒であり、高橋尚成とは1日違いである。
* ヤクルト戦には強く、対セ・リーグ5球団で通算防御率や通算勝利数、完投勝利数、完封勝利数のいずれも良い成績を残している。通算20勝9敗。
* 2007年、故障での出遅れなどから抑えに回っていたが、その年のオールスターゲーム第1戦では監督を務めた落合博満のはからいで先発に起用される。登板後のインタビューにおいて「もう先発で投げる事は無いと思っていましたから、素直に落合さんに感謝します」と語った。
* 登板時のBGMはPRIDEのテーマを使用している(ただし入団時から2003年シーズンまではボーイズ・タウン・ギャングの『君の瞳に恋してる』)。
* 本人は「対戦相手に恵まれていただけ(笑)」と謙遜するが、2006年のWBCでも2勝を挙げるなど、外国チームとの国際試合では大学時代から数えて23戦12勝無敗1セーブ、国際戦負けなしという無類の強さを誇る。アンチ応援がすさまじい「甲子園」が好き、というように逆境やプレッシャーのかかる大舞台に強い選手である。2007年12月のアジア予選でも1セーブをマーク、星野仙一は「これだけの舞台で、あんなピッチングが出来るなんてほんとにたいした男だね」と最大級の賛辞を送っている。またその言葉を表すこととしてアジア予選においての天王山である韓国戦において上原の他に岩瀬、藤川と日本を代表するクローザーがいたにも関わらず上原を守護神に任命した。そしてその期待通りそれまで毎回ランナーを背負う苦しい展開にあって9回を三者凡退に抑えた。巨人での先発復帰に伴い、2008年のオリンピック本戦では、先発とリリーフ両方での起用もありうる事を星野は示唆している。
* 2000年から2006年まで7年連続開幕投手を務めたが、2007年はキャンプ中に古傷を痛めたこともあり開幕に間に合わず、8年連続はならなかった。勝ち星を挙げたのは2001年(対阪神)、 2006年(対横浜・完投勝利)と、それほど結果を残していない。日本シリーズには2試合登板し、2勝0敗。「確実に勝利を要求される舞台」での強さは日本人No.1といっても過言ではないだろう。
[編集] メジャー移籍願望
* 入団当初からメジャーへの強い希望を持ち続けており、2004年~2005年オフにもポスティング移籍を直訴してきた。しかし球団がポスティングシステムを認めず、結局2008年シーズン中にFA権取得、行使しての移籍が確実である。
* 現在も『ポスティングの12球団統一ルール』の施行を主張している。
* どちらかといえば「逆指名制度とポスティング制度に翻弄された被害者側の人間」といった印象をもたれているが、堀内監督時代のチーム先発防御率4点台後半にまで崩壊した2年間と、上原がポスティングを主張していた時期が重なっており、彼が基本的に「一匹狼」タイプである(だった)ことも災いしている(球団の資金力にかかわらず投手補強で「質」を追求することには限界があるため、例えば松坂大輔も周到に2年を要して若い涌井秀章に全てを託し、次代のエースを継承させている)。
o こうしたメジャー移籍願望とは切り離し、巨人の親会社でもある読売新聞社が日本のプロ野球のシーズン中にメジャーリーグ開幕戦を招聘したことに1プロ野球選手として異を唱えてもいる。
[編集] 涙の敬遠
ルーキーイヤーの1999年10月5日、上原はヤクルトとの最終戦に登板した。すでに中日の優勝が決まった後の消化試合であり、専らの注目はタイトル争い。両チームに所属する松井秀喜が41本、ロベルト・ペタジーニが42本と、本塁打王を激しく争っていた。上原自身も中日の野口茂樹と最多勝を争い、この試合に20勝目がかかっていた。
この年ペタジーニを無安打に押さえ込んでいた上原は、1・2打席目では勝負して打ち取ることに成功する。しかし、この間松井が一貫して敬遠気味の四球で歩かされ続けたことで、7回裏にペタジーニの3打席目を迎えたところでベンチから敬遠の指令を受ける。指示に従いストレートの四球で歩かせたが、勝負できない悔しさからマウンドの土を蹴り上げ、目に浮かんだ涙をユニフォームの袖で拭っていた。9回の4打席目では再び勝負し適時打を浴びたものの、上原は2失点で完投勝利し20勝目を挙げる。
その話題性とも相まってこの涙はニュース等で大きく取り上げられ、タイトル争い、四球合戦の正当性について議論を巻き起こした。
[編集] 人身事故
プロ入り後、自家用車で2度人身事故を起こしている。
* 2000年7月27日、川崎市内で自家用車を運転中にオートバイ運転中の男性をはね、重傷を負わせた。この事故について、球団から厳重注意の上謹慎10日間の処分を受けた。また、業務上過失傷害で書類送検され罰金30万円の略式命令を受けている。
* 2006年3月23日、東京都内で自家用車を運転中に清掃車に追突。運転中の男性に軽傷を負わせた。業務上過失傷害と道交法違反の疑いで書類送検され、起訴猶予処分となった。