ソシュール

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成績を上げるための日本語トレーニング
旧制中学用の文法教科書をして書いた『新文典別記』(1948年)を基にしている」という。そして町田は橋本へのソシュールの影響に言及している。橋本の文節という文の単位の定義があいまいであり、そういうあいまいなものの上に構築されて
2008/08/22 00:21:38 [ニムオロ塾]
ノート
ソシュールは言ったそうです。なにそれ!意味わからんシ どうした!熱中症か人に自分の考えを理解してもらって、その上で新しい発想を求めるにはどうしたらいいかと考えることがありまして・・・・・・・・そのとき思い出したのがソシュール
2008/08/21 23:12:40 [ミノパパの城東JFC応援日記]
無意味なコトバと想像力
コトバには、意味があって当然です。意味のないコトバは、基本的に存在を許されない。コトバは何かを指し示すもの。ソシュールの言うシニフィアンとシニフィエには、絶対的な繋がりはないけれど、 それでもコトバは必ずなにがしかを表象するように出来ています。まぁ
2008/08/21 03:16:34 [changed the way I saw the world(仮)]
ナイ頭で考えた
と同様、一問一答と一昨年の試験問題で分からなかったところから押さえました。ラング パロール 共時態 通事態 所記 能記 グライスの協調の原理 ソシュールについての色々 ← などをわかりやすい言葉に直して頭の中で整理しながら、ルーズリープに殴り書き(^ω^ ) 誰も解読できないくらい
2008/08/20 22:33:02 [じゃぱ語生の日々のスルメ]
言葉と在るものの声 前田英樹
イデア的本質の世界と芸術 1 空海の「声字実相義」 プルーストの「失われた時を求めて」を記号学のパースやソシュールを通してみるものである。言葉を「記号」としてみる、また世界を「記号」としてみることによって、その背景にある
2008/08/20 13:48:07 [逍遥遊〜 日本文化にみられる真・善]
Starobinski (1971/1979)第6章
タイトル:Echoes 感想:メイエとバイイはソシュールのアナグラム研究について理解を示し、色々とやりとりがあったということが紹介されていました。また、著者はなぜソシュールはラテン詩にこだわったのかという疑問を投げかけています。実際、著者はフランス詩でもアナグラムの抽出
2008/08/19 17:49:05 [英語教育学・文学理論・言語理論の接点]
Starobinski (1971/1979)第5章
タイトル:In pursuit of the proof 感想:ここでは、ソシュールがアナグラムを偶然ではなく列記とした事実として提示しようとして色々と苦心していたことが示されていて、読んでいてとても面白かったです。ソシュールはアナグラムを偶然の結果と考えるか作家に
2008/08/19 17:21:04 [英語教育学・文学理論・言語理論の接点]
[読書]『記号学への夢』ロラン・
→Amazon バルトが1958年から64年にかけて書いたエッセーなどを集めた本。1956年に出会ったソシュールの言語学への傾倒を背景に、64年に刊行される『エッセ・クリティック』(みすずの著作集では「批評をめぐる試み」と邦題がつけられている)
2008/08/19 13:42:17 [I guess everything reminds you of something.]
Starobinski (1971/1979)第4章
、それが時代を経て伝承されたということ、そして多くの作家が試行に形を与えるための1つの道具として詩作に常に随伴するものとなったこと、が指摘ないし確認されていました。ソシュールはアナグラムの存在を決して偶然の産物とは考えず、ひとつ
2008/08/19 10:30:05 [英語教育学・文学理論・言語理論の接点]
Starobinski (1971/1979)第3章
のことはソシュールは考えていなかったようです。ソシュールのアナグラム研究を引き合いに出す研究は、比較的、流出説的構想との兼ね合いで、芸術の創造性を批判することが多いのですが、僕自身、この章を読んで、気をつけなければいけないな(ソシュール自身は
2008/08/19 10:27:32 [英語教育学・文学理論・言語理論の接点]

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フェルディナン・ド・ソシュール(Ferdinand de Saussure, 1857年11月26日 - 1913年2月22日)はスイスの言語学者。言語哲学者。「近代言語学の祖」と呼ばれる。また、記号論にも大きな影響を与えた。後の構造主義はソシュールを契機にしているが、ソシュールの鬼子の位置にある。

彼自身の著書ではないが、晩年の1906年から1911年にかけて、計三回ジュネーヴ大学で行われた一般言語学についての講義を、後にその受講生らがまとめた書『一般言語学講義』[1]がある。

生涯

1857年11月26日、スイスのジュネーヴに生まれる。一家は16世紀にフランスから移住してきた名家で、物理学・生物学を中心に多くの学者を輩出して来た一家であった。

1870年からギリシャ語を学び、1873年にギムナジウムに入る。1876年にパリ言語学会に入会し、10代にして数々の発表を行って名声を高める。この頃、ライプツィヒに留学する。

1878年暮れ、論文『インド・ヨーロッパ語における原始的母音体系についての覚え書き』を発表する。これは、ヨーロッパ圏の諸語の研究から、それらの祖となった印欧祖語の母音体系を明らかにしようとしたものである。この論文において半ば数学的な導出によりソシュールが提出した喉頭音仮説が、後にヒッタイト語解読によって実証され、これが20世紀の印欧祖語研究に大きな影響を与えることになる。

1878年7月にベルリンを訪れ、1879年暮れまでそこに滞在する。1880年からは再びライプツィヒに戻り、2月に論文『サンスクリットにおける絶対属格の用法について』をライプツィヒ大学に提出して博士号を得る。

1880年秋からパリに滞在する。1881年、パリ大学でミシェル・ブレアルの講義を聴講し、才能を認められて同大学の「ゴート語および古代高地ドイツ語」の講師となる。そこで10年間に渡って教鞭をとった後、ジュネーヴに戻る。1906年、ジョセップ・ウェルトハイマーの後を受けて一般言語学について1906年-1907年、1908年-1909年、1910年-1911年の三度にわたって講義を行う。

20世紀に入ったころから彼にとって言語学は中心的な興味の対象ではなくなり、もっぱら『ニーベルンゲンの歌』の研究やアナグラムに取り組むようになる。1912年の夏に健康を害して療養に入り、1913年2月22日に死去した。55歳没。

[編集] ソシュールの言語理論

一般に、ソシュールは言語の共時的な構造を重視したことで知られる。すなわち、それまでのように言語の起源や歴史的推移を問題にするだけではなく、ある一時点における言語の内的な構造をも対象にすることで、全的に言語を理解することになると考えた。

この構造は2つの恣意的な関係性の体系が、さらに恣意的に結びついているとして理解される。

その一方には、人間がつくりあげた現実世界の、人類普遍ではない分類体系がある。虹の色や雨の種類、風の種類などを、人間はしばしば言語話者族固有に区別する。連綿としていていろいろな形で分類ができそうな対象であるにも拘らず、特定の分類体系に比較的長く執着することが起こる。これは、どのような差異を有意味なものと考え、どのような差異を無視するかについての、各言語話者族の自己固有の恣意的な選択として理解される。その選択がその言語に固有の語体系を作り、その語体系はまた逆に、その言語の話者族に、彼らの生きる現実世界を築いて与える。この語体系の固有性を成す側面をソシュールは、"価値" と呼んでいる。価値は話者族の恣意によるという意味で恣意的なのである。この場合、意義は話者族間に共通普遍のほうへ寄った側面である。英語のsheep とフランス語のmoutonは、意義が同じでも価値が異なる、というように表現できる。ここでソシュールは、「各民族語は相互に異なる固有の世界像を持つ」という言語相対論にある。

他方で人は、言語に用いる音についてもその区別は恣意的である。例えば日本語では英語の「r」と「l」にあたる音の区別がなく、韓国語では英語の「p」と「b」にあたる音の区別がないように、本来ならば様々な形で分類できそうな多様な音を、有限な差異によって分類される有限数の音に、各言語の話者族は自己固有の仕方(つまり人類に共通普遍的・必然的とは言えない仕方で)区分けしている。これは現在では"言語の音声面での恣意性"などと表現する。

このように分類・区別という、線引きの集まりを恣意的につくりあげる行為は"分節"と呼ばれるようになった。現実世界の認識の体系も、言葉を構成する音も、人間はそれら二つの体系を"分節"によって作りあげていることになる。(線引きが恣意的であることを、後にあえて"差異の体系"などと呼んだ評論家もいるが、それでは力点の置き方が異なってしまい、ソシュールの意図からは外れることになる)

ここで、2つの恣意的な体系も、恣意的に結びついていると指摘される。例えば「米」として分節された特定の対象物が「こ・め」という特定の音と対応していることには、必然性はない。

ソシュールはこれを一般化して、「言葉と意味、あるいは表現と内容(シニフィアンとシニフィエ)の関係は恣意的である」と定式化し、両者の関係のありかた、すなわち恣意的な関係性を「シーニュ」と呼んだ。(日本語ではシーニュに「記号」という訳語があてられ普及してしまったが、意訳せず音写にとどめるべきだった、とする人もいる。)

[編集] ソシュール言語理論についての批評

インド哲学との類似性
各言語がその話者族にとって自然であると感じられるとしても、人類的には非実体的な虚構であることを示したことは、分節化の前の生きた人間の様相への問いや、東洋的な離言真如評価との接点を切り開くものである。
インドでは、恣意性については「空」「縁起」などの概念で2000年前にはすでに知られていた(さらに単なる知識や評論に留まらず、その恣意性を消し去る高度な技法が釈迦によって発見され、実践体系や生き様にまで高められ、「仏教」と呼ばれるようになった)わけであるが、ソシュールは(インドの哲学を、知っていたか知らなかったか、明らかではないが、ともかく結果として)このインド起源の概念に類似したものを導入したということになる。因みに「空」の概念は原語のサンスクリットでは「シューニャ」と元々呼ばれている。ソシュールは"恣意的な関係性"の概念を「シーニュ」と命名した。(六派哲学などの項も参照)

記号論(シーニュ論)に発展
ソシュールの指摘によって、恣意的な関係性「シーニュ」の概念が、言語学の分野において指摘されたことをきっかけとして、同様の恣意性が、言語に限らず様々な象徴や指標でも見出されることが、(インド哲学をあまり知らなかった)ヨーロッパの人々にも、遅ればせながら意識されるようになった。「シーニュ」の概念は、言語に関する理論にとどまらず、他の論者・評論家たちによっても類推・拡張的に利用され、次第に「記号論」と呼ばれる一連の論・評論へと発展してゆくことになった。一例を挙げると、後の記号論者には、あるブランドに特定のイメージが関連づけられる仕方は、概ね恣意的なものであり、他の類似ブランドとの差異の体系を形成している、ということを指摘した者もいる。同様に映画や小説の作品を、作者の個人的な生い立ちや意図ではなく同時代の関連作品との"差異の体系"などとして読み解こうとする後の評論家らによる「間テクスト性の分析」も元をただせばソシュールの提示した概念に負うところが大きい。