藤波辰爾

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抗争を繰り広げ
を付け、9月20日、ムタを破り、第14代IWGPヘビー級王者となった。その後、藤波辰爾に敗れて王座を手放すものの、直後の5月1日福岡ドームで藤波を破って王者になり(1年後の1995年5月3日福岡ドームで武藤に敗れたものの
2008/08/27 22:58:14 [困った時は検索しれ]
キューバ選手の見事な左ハイ!(23日・
力 , ハルク・ホーガン , 藤波辰爾 , 前田日明 , アンドレ・ザ・ジャイアント , マサ斎藤 収録時間:200分レンタル開始日:2007-09-21Story新日本プロレス創立35周年記念シリーズ第1弾。猪木舌出し失神、長州かませ犬発言、藤原テロ事件、藤波髪切り直訴、前田対アンドレ
2008/08/27 19:58:58 [大神主税の日日是格闘]
黒き日記795
がたまたましょこたんだったのであって、これがモーニング娘。だろうが、北島三郎だろうが、藤波辰爾だろうが、誰でも良かったんです。ないわー、藤波辰爾はないわー。ドラゴンフェイクファになるわ。でもナンダカンダ言って、携帯にしょこたんストラップをちゃんと付けちゃって
2008/08/26 23:58:14 [黒き日記 in 愛・地球博(跡地)]
【梨】藤波辰爾が新日本とユークス
洞窟に梨王子と灰猫と毎日一緒にいったもんだ・・ ●夏休みの予定は?受験生なので勉強・・ だが断る(中略) 社長職を藤波から引き継いだ元新日プロ社長・草間政一氏(現・白井梨ブランデー株式会社社長)も「一度(退職功労金を決議して)
2008/08/26 17:30:45 [梨]
プロレス界再編成!猪木が会った昭和の
、猪木は古巣・新日本プロレスでともに闘った昭和世代の大物とこぞって会談をもっているという。両国大会に花輪を送った藤波辰爾もそのひとり。ほかにも、現時点ではまだ可能性にすぎないため、具体名は出さないが、数人の有力選手と会談。
2008/08/25 03:59:58 [見たくない奴は見に来るな!]
[梨]藤波辰爾が新日本とユークス
あるときに何かやります。よかったら参加してくださいね?。そして主従背中合わせピンが来ましたよ!かなりの勢いで(中略) 社長職を藤波から引き継いだ元新日プロ社長・草間政一氏(現・白井梨ブランデー株式会社社長)も「一度(退職功労金を決議して)
2008/08/24 05:31:15 [梨]
度目の戦いでは完全なセメントを仕掛けられ
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2008/08/24 04:56:54 [【魂】 情報ぶろぐ]
かつら?藤波辰爾 が5094万円損賠求
最近のかつら技術には目を見張るものがありますよね。かつら着用で有名?な、あの人や、あの人や、あの人。みなさん、とても自然な生え際になってきています。しかも、自然に髪の毛の量を減らしてきています。地肌を見せながら、あくまでも自然に
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藤波辰爾 が5094万円損賠求め新日本プロレス
ではなく「鯖威張る」と変換されていました(;_;) かつら 2008/07/09 22:17 しかも、ワタクシも、おかしな入力ミスをいたしております(;_;) かつら 2008/07/09 22:19 達子さんもかつらさんも、オモロ?!?(≧▽≦)丿 とり子 2008/07/09 22
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翌月にはリベンジを果たし小川を失神KOさ
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2008/08/21 23:03:31 [サラダ日記]

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藤波 辰爾(ふじなみ たつみ、本名:藤波 辰巳、1953年12月28日 - )は、大分県出身のプロレスラー。血液型はO型。ニックネームは「ドラゴン」もしくは「ドラゴン藤波」。第77代NWA世界ヘビー級王者。一時期、リングネームをドラゴン藤波、ドクター(ドクトル)藤波としていた。

来歴

中学卒業後地元の自動車整備工場に就職したが、アントニオ猪木にあこがれ、別府温泉に湯治に来ていた北沢幹之に直談判し日本プロレスに入門する(入門同期は、佐藤昭雄、キラー・カーンら)。その後アントニオ猪木の新日本プロレスに旗揚げより参加。1974年、若手の登龍門たるカール・ゴッチ杯を制し、初の海外遠征で西ドイツへ、その後アメリカに渡って、カール・ゴッチの元で修行、メキシコを転戦し、1978年、WWWF(現WWE)ジュニアヘビー級タイトルを獲得し凱旋帰国。「ドラゴンブーム」を巻き起こす。

ビルドアップされた見事な体とドラゴンロケット等の飛び技、そしてゴッチ仕込みのテクニックで、従来のプロレスファンに加え、女性やこどものファンも獲得し、猪木、坂口征二に次ぐ新日No.3の座につく。木村健悟、剛竜馬との戦いで日本のプロレスに「ジュニアヘビー級」を確立した。

1980年代前半にヘビー級転向を果たし、長州力ら維新軍団との抗争で新日本に黄金期をもたらす。その後、長州力ら維新軍団が離脱すると、猪木と共に新日本プロレスの低迷期を支えるが、長年に渡り酷使してきた腰を悪化させ、長期離脱を余儀なくされる。

「プロレスは対戦相手との信頼関係があるから、やれるんです」という藤波の言葉が表すように、相手選手の持つ良さを引き出すことに長け、名勝負製造機とも言われた。その技量はフレアー、武藤、マードックといった名手達から絶賛されている。また、ストロングスタイルの正統派レスラーと見なされているが、流血や乱入といった荒れた試合も自然にこなせる力量も兼ね備え、さらにはドラゴン・リングイン等の数々のお約束ムーブも持っていた。特に1986年6月12日大阪城ホールIWGP公式リーグ戦での前田日明との戦いでは、前田のシューティングスタイルに近い厳しい攻めを真正面から受け止め、「無人島に流れ着いたと思ったら仲間がいたよ」という賛辞を前田から引き出すほどだった(結果は両者KOによる引き分け)。現状に対しての改革意識が強く、猪木に対して自らの前髪を切って訴えた「飛龍革命」(1988年沖縄)、相撲の部屋制を真似たドラゴンボンバーズを結成したり、プロレスの原点にもどるという理想を掲げる「無我」なる興行を立ち上げたり、様々な活動をしてきた。また、テレビ番組への積極的な出演や、青少年を相手にしたトレーニング教室をボランティアで展開するなど、多方面での活躍も目立つ。

かねてから「ジャンボ鶴田選手と一回戦ってみたかった」と公言している。かつて、ジャイアント馬場と猪木の対戦が望まれた時期、猪木は何度も馬場に対戦を望んだが、馬場は「僕達の旬は過ぎているから」と拒否し、代わりにお互いの団体の次期エースである鶴田と藤波の対戦を申し出たり、当時全日本プロレスに参加権があって新日本プロレスには認められていなかったNWA世界ヘビー級のベルトの挑戦権を藤波に与えてもいい、などと発言したこともあった。だが、猪木は馬場との対戦に拘り続け、そして鶴田の死去もあり、ついに藤波は鶴田と対戦することはできなかった。

2005年に復帰し、5月のドーム大会でジャンボ鶴田の付き人を務めたことのあるNOAHの三沢光晴とタッグを組み、「楽しかった。次は三沢選手と戦いたい」と話した。また、同年のG1 CLIMAXにも久々に出場した。川田利明との初対決が実現するも敗れる。試合後に握手し、川田は「試合後の握手は嫌いだが、レスラーになったきっかけの一人であるから」とコメントを残す。

1999年から2004年まで新日本プロレス社長を務めた。副会長に就任して以来、引退カウントダウンを撤回し現役にこだわり続けた。2006年6月30日付けで新日本プロレスを退団。その際に社員に挨拶に回ったが、ことごとく無視された、とインタビューで当時の様子を語った。社長就任後引退時期に関する釈明が二転三転したため渾名を捩り「ホラゴン。」と揶揄されたことがある。

元新日本プロレスで藤波の愛弟子である西村修と田中秀和リングアナウンサーの新団体「無我ワールド・プロレスリング」の旗揚げ戦で第1試合に出場した。その後無我の代表取締役に就任。2007年1月28日には約30年ぶりにグラン浜田と対戦した。6月1日師匠であるアントニオ猪木と1年振りに会談したことが明らかとなり、その席で猪木が旗揚げするイノキ・ゲノム・フェデレーションへの協力を表明した。9月9日、NOAH日本武道館で、三沢との夢のタッグ戦が実現(三沢、潮崎vs藤波、西村)。パートナーの西村が潮崎に足四の字で勝利。

2008年より、社名を『ドラディション』に変更している。

[編集] 得意技

自らのキャッチフレーズである“ドラゴン”の名を冠した多くのオリジナル技を持つ。これらは総じて「ドラゴン殺法」と呼ばれ、プロレスファンの良く知るところとなっている。

ドラゴン・スープレックス(飛龍原爆固め)
1978年1月23日、藤波がアメリカWWWF(現WWE)遠征中のMSGで行なわれたWWWF世界ジュニア・ヘビー級選手権戦でカルロス・ホセ・エストラーダを相手にフィニッシュとして使用。この時の映像が新日本の「ワールドプロレスリング」中継で流されたことで衝撃を与えた。藤波はこの技を引っさげて凱旋帰国。ドラゴン・ロケットと共に「ドラゴン殺法」と呼ばれ、それまで日本には無かったジュニア・ヘビーならではのスピーディーで小気味良いレスリングとあわせ、藤波を一気にスター選手の道へと駆け上っていった。
ジュニア・ヘビー級時代は割と多用していたのだが、フルネルソン状態で真後ろに投げられるという習慣が当時のレスラーには殆ど皆無だったこともあり、受身を取りそこなうレスラーも多く(特にタッグ戦でアーマンド・ゲレロ相手に見舞った一発は強烈で、アーマンド・ゲレロは舌を出して失神、そのまま試合放棄となった)、当時新日本が提携していたWWF(現WWE)からの禁じ手とする旨の要請を受けて、この技は封印された。
その後ヘビー級に転向し、ほとぼりが冷めた頃、ビッグマッチでこの技に入ろうとする振りだけはするものの不発になることが多い。例外的に、スーパー・ストロング・マシンには2度成功し、一度は3カウントをとっている。また、アントニオ猪木から初めてフォール勝ち(タッグマッチで)を収めたのもこの技である。1986年6月12日、大阪城ホールで行なわれたIWGP公式リーグ戦、前田日明とのシングルマッチで逆に前田にこの技をきめられてしまったシーンは、ファンに少なからずショックを与えた。

ドラゴン・ロケット
ジュニア時代に多用。現代ではトペ・スイシーダとして有名。リング内から場外に一直線に飛ぶというムーブは、1970年代後半のプロレスでは珍しく、若き日の藤波の象徴とも言える技であった。また1978年のチャボ・ゲレロ戦でこの技を避けられて失敗し、鉄柵に頭をぶつけて大流血するなど、記憶に残る場面も多い。ヘビー級転向をしてからも、カネックなどに数回しかけている。

ドラゴンスクリュー
相手の片足を両腕で取り、足首を抱えて自分の脇腹に押し付けて固定。自ら素早く内側にきりもみ状態で倒れこみながら相手の膝を捻り、靭帯をねじ切る。この技を喰らって下手に堪えようとすると本当に靭帯を痛めてしまうので、素人考えでやるのはご法度の大変危険な技。
元々藤波がジュニア時代から得意としていた技で、蹴り技に対する対抗手段として通常的に使われていたのだが、あくまでつなぎ技でしかなく、それほど脚光を浴びることは無かった。藤波の場合、相手の足を痛めるというよりは、足を取っての巻き投げに近く、実際藤波にこの技をやられた相手が、その後も足を引き摺るような場面はあまり見られない。
この技を復権させたのは、武藤敬司である。1995年10月9日、東京ドーム・新日本対UWFインターナショナル全面対抗戦のメインイベント、武藤敬司対高田延彦戦において高田の蹴りに対抗し武藤はこの技で応戦。受身に失敗した高田の膝を破壊し、この技の連発から足四の字固めに移行するという必殺パターンを編み出した。以後この技の威力がクローズアップされ、多くの日本人選手が使うようになった。

ドラゴン・バックブリーカー
かつてビル・ロビンソンがダブルアーム・スープレックスと共にフィニッシュとして使用した技で、腰を痛めてからジャーマン・スープレックス等のスープレックス系の技を使えなくなった藤波が、新たな武器として選んだ。しかし、この技自体が腰のバネをかなり必要とし、また相手の全体重を膝に受けなければならないため、ダメージが蓄積してきたことからあまり使われなくなった。

ドラゴン・スリーパー(飛龍裸絞め)
尻餅状態に座らせた相手の後方から、相手の首を自分の脇に抱え込むように片腕で捕獲。空いている腕で相手の片腕を前方肩上から脇に通して背面で固定し、自分の両手を相手の背面でロック。自ら背を反るようにして脇に抱えた首の頚動脈を圧迫する。
当時藤波が出稽古に通っていた骨法の首落としをヒントに開発した技。1991年11月5日、日本武道館におけるIWGPヘビー級王座防衛戦で、蝶野正洋がこの技をかけられた後、一度はオーバーヘッド気味のキックで逃れるも、再度この技をかけた藤波が、再びキックを出してきた足をそのまま掴み、足取りドラゴン・スリーパーとしてギブアップを奪ったことがある。
ロープに飛んだ相手をカウンターでスリーパーホールドに捕え、そのままドラゴン・スリーパーに移行するのが定番ムーブ。

ジャパニーズ・レッグロール・クラッチ(後方回転足折り固め)
相手の背後からジャンプしながら脇下に両足を差し込んで、振り子の勢いで後方回転し、相手の体をエビ状にして相手の足を自分の両足でクラッチしながら自らはブリッジして固める。
ジュニア・ヘビー級時代によくフィニッシュに使っていた技。また、最後の固め方は同じだが、相手がうつぶせ状態のとき、その上から自分の両足を相手の両脇に引っ掛けるように差し入れて、相手を横方向にひっくり返しそのままジャパニーズ・レッグロール・クラッチに持っていく入り方を特にドラゴン・レッグロール・クラッチと呼んだ。

延髄斬り
師匠・アントニオ猪木の必殺技。直系弟子である藤波もまたこの技を継承している。藤波は「斬る」というよりも完全に後頭部を空中で蹴りつける感じで見舞う。

サソリ固め
度重なる長州力との抗争の中で身につけた「掟破りの逆サソリ」。

ジャンピング・フットステップ
うつぶせ状態の相手のおでこを自ら軽くジャンプしながら両足の靴底でこする。フライングメイヤーで倒した相手に連続して見舞うのが藤波流。これもジュニア時代に頻繁に使っていた。

ドロップキック
独特の正面飛びドロップキック。バンプの上手い藤波ならではの出し方である。

[編集] タイトル履歴

NWA

* NWA世界ヘビー級王座: 1回
* NWAインターナショナルジュニアヘビー級王座: 1回
* NWAパシフィック ノースウェストヘビー級王座: 1回

新日本プロレス

* IWGPヘビー級王座: 6回
* IWGPタッグチーム王座: 5回(&木村健悟x4、西村修x1)

WWF

* WWFインターナショナルヘビー級王座: 1回
* WWFインターナショナルタッグ王座: 1回(&木村健悟)
* WWWFジュニアヘビー級

その他

* WCWA世界ヘビー級王座: 1回
* CWAインターコンチネンタル王座: 1回
* PNWヘビー級王座: 1回
* UWA世界ヘビー級王座: 1回

[編集] エピソード

* 藤波が新日本の若手でWWWFのジュニア時代の若手の伸び盛りである1979年頃、ホープである藤波を盛り上げようとするイベントが蔵前国技館であり、テレビ朝日で中継した。そのイベントでは番組公募の子供達がリング上でサンドバッグに体当たりするという催しがあったが、そのサンドバッグを押さえる役だったのが吉田光雄からファン投票で選ばれたリングネームに改名して間もなかった当時の長州力であった。また同イベントは歌謡ショーもあり、藤波の大ファンだと本人のデビュー当時から公言していた、当時アイドルだった井上望(現在エド山口夫人)がこのショーのゲストの一人で、この藤波の応援イベントの出演に感激しきりで泣いてしまう一面もあった。
* 相手の必殺技を盗む(華麗なる盗人)と言われ、「名勝負数え歌」と言われた長州力戦でみせる長州力の得意技“サソリ固め”は、当時実況の古舘伊知郎をして“掟破りの逆サソリ”と言わしめた。ただ、中には首をかしげるものもあった(ケリー・フォン・エリックのタイガー・クローにブレーン・クローで対抗したときなど)。
* パートナーからタッチを受けた後コーナーポストにのぼり何もせずにリングに飛び降りる「ドラゴンリングイン」(別名:雪崩式リングイン)、その他独特の呼吸法なども有名。
* 両足を揃えたまま完全な仰向け状態にジャンプして放つ昔ながらのドロップキックスタイルは、失敗するとバックドロップを受けたように背中から後頭部にかけてをキャンパスに強打(一人バックドロップ)するため、「ジバック(自爆)ドロップキック」と言われ、ファンに失敗を期待させた。また、藤原喜明限定のブレーンバスターをしかける→脇固めに返される、逆エビ固めをしかける→レッグシザースで返される、マードック限定のリング内に入ろうとするマードックを半ケツ状態にする、というお約束ムーブも持っており、会場を大いに沸かせた。
* 1985年5月17日の熊本大会で、スーパー・ストロング・マシンに「お前平田だろ!」という伝説的なマイクアピールをした。マスクマンの正体を明かすのはタブーとされている上、当日の試合は「ワールドプロレスリング」で生中継されており、藤波の正体暴き発言は全国のプロレスファンに知れ渡ることになった。ちなみにこの発言は藤波のおとぼけであるという説と、平田にマスクを脱がせたかった会社が藤波に代弁させたという説がある。なおこの発言のずっと後に平田はマスクを脱いで正体をさらしたが、その後も素顔で試合に出場する一方で「魔界1号」「ブラック・ストロング・マシン」と名前を変えながらマスクマンとしても出場することもあり、その時には観客から「おまえは平田だろ~」という声を浴びている。それほど有名なマイクアピールである。
* 1985年11月1日に、入場テーマ曲であったエディ・グラントの「Boys In The Street」のカバー曲である「マッチョ・ドラゴン」というレコードを本人のボーカル入りで出しているが、(あまりの歌の下手さに?)コサキンソングとして取り上げられるなど伝説的な曲となる。藤波本人がCD化を断ったこともあり、永らくその存在が封印されていたが、2005年のG1でケンドー・カシンが入場曲にボーカルバージョンを使用し再び脚光を浴びた。B面の「ドラゴン体操」も迷曲としてカルトな評価を得ている。尚、作詞は森雪之丞である。
* 発言の趣旨が日によって変わってしまうため、ファンだけでなく、一部の選手からも「コンニャク(社長)」と揶揄されている。特に、頻繁に引退宣言をしては撤回する事が多い。本来、引退へはカウントダウンだがカウントアップしており、この点において師匠のアントニオ猪木の回数を上回っている。これに代表される近年の言動は、全盛期「受けの天才」と呼ばれた藤波の勇姿と比較してあまりに対照的であり、昔からの藤波ファンを嘆かせている。
* ネット上ではコンニャクと呼ばれており、その理由として定期的に新日本の会社体制(猪木のワンマン振り)を批判し、退団を示唆しては結局残留するを繰り返し行ったため。退団後の無我旗揚げでコンニャクの汚名を返上すると思われたがイノキ・ゲノム・フェデレーションへの協力表明したため、相変わらずのコンニャク振りを証明してしまった。
* 長年ライバル視していたジャンボ鶴田は、藤波に対して「彼はいつもマスコミを使って対戦を主張してくる。直接僕に電話なりしてくれればよかったのに」と発言しており、「(鶴田はヘビー級で当時の藤波はジュニアヘビー級ということもあり)元々体格が違うから」とも発言し、積極的に対戦したかったわけではないようだ。だが後日、鶴田は藤波に「失礼な発言をしてしまった」と、FAXで謝罪した。
* 2001年のドーム大会の橋本vs長州戦において、橋本・長州とも互いにフォールしようとせず打撃技のみのKO勝ちを狙おうとしたため、試合中 TV解説席からリング上のタイガー服部レフェリーに両手を×の字にクロスして試合中止を決めた。この藤波の裁定が、一部ファンから「ドラゴンストップ」と呼ばれた。以後、団体側の都合で強引に試合を中止にしてしまうことを「ドラゴンストップ」と揶揄して呼ばれることがある。この一件は試合の実況中同席していた解説者の山崎一夫が「二人とも潰れちゃいますよ!藤波さん、止めなくていいんですか!藤波さん!」と何度も呼びかけて、その後ストップさせたものであった。藤波は「我々は殺し合いをしているんじゃないんだ」と語った。その後も天山広吉や獣神サンダー・ライガーは「ぶち殺す」や「ブっ潰す」といった発言が定番化していることから藤波の発言には矛盾が生じてしまった(とはいえ、これらの発言はプロレスにおける常套句でもある)。この時の「ドラゴンストップ」は事前に勝敗を決めかねたことによる「台本」通りにやっただけであり、藤波一人に責任を負わせるのは不適当だ、とする意見もある。ちなみにこの「我々は殺し合いをしているんじゃないんだ」は声がこもっていたため中継時は何を言っているのかよく分からず、ユリオカ超特急のネタにされた事がある。
* タレントとしては、1989年TBS系の特別番組・ウルトラマンを作った男たちに、科特隊のムラマツキャップ役で出演したのをはじめ、同じくTBS系の世界ウルルン滞在記、NHKの生活ほっとモーニング・おーいニッポン・ひるどき日本列島等に出演。1996年には朝の連続テレビ小説・ひまわりにも出演(主演松嶋菜々子{南田のぞみ役}の家の近所で空手の道場を開いている師範代の“タイガー原田”役)。1998年には、映画「新宿少年探偵団」に、加藤あいの父親役で空手家として出演。なお、最初にタレントとしてテレビ登場したのは1983年三枝の国盗りゲームだった。
* NHK総合テレビの「生中継ふるさと一番!」(月~木曜・昼12:20)のレギュラーゲスト(不定期)として全国各所から出演する。
* 2007年11月28日NHK「スタジオパークからこんにちは」に出演。馬場と猪木と入門時の藤波3人が写っている貴重な珍しい写真が公開された。また同番組中、ファンからのFAXメッセージに答え「嫁さんとの出会いのきっかけにもなった、大阪寝屋川でのチャボ・ゲレロ戦は私にとってのベストバウトです」と明言した。

* 城マニアで有名である。以前工務店に藤波城の見積もりを頼んだ所100億円した。上記のスタジオパークで藤波は「いつかは建てたいという願望はまだ持っている」とコメントした。
* 1997年には、法務大臣より藤波の青少年育成活動に対して感謝状が贈られた
* 藤波の青少年育成活動に影響されて、親交のあったKONISHIKIがタレントに転向したと言われる。
* 口癖は「ある部分では~」。
* 伽織夫人は女優顔負けの美貌の持ち主(ジュディ・オング似)。資産家の娘でもあり、資金難に喘いでいた新日本プロレスは随分と夫人の実家にお世話になったらしい。かねてより藤波一家(娘と息子)水入らずで土曜スペシャル(テレビ東京系)旅番組に出演。また最近は伽織夫人単独でも土曜スペシャルの旅番組の出演が多い(共演者は女優の山口いづみが多い)。また同番組では夫人単独の場合でも「プロレスラー藤波夫人」等と紹介が無い為、「あの美女は誰だ」といった問合せが局にあるらしい。
* ビッグ・バン・ベイダー戦でバックドロップによって腰を痛めて長期欠場と言われていたが、実は長年の腰痛の原因は椎間板ヘルニアである。
* 長年広島ファンと思われていたが、本人は「僕は長嶋さんに憧れた世代で、昔から巨人ファン」とテレビで言った。また、千葉ロッテマリーンズの鹿児島キャンプにも棚橋弘至と一緒に参加した。

[編集] 政界進出断念

* 自民党からは幾度と無く立候補を打診されるも、その都度発言は二転三転し、結果的には立候補までには至らず。
* 新日本プロレス社長時代も、オーナーのアントニオ猪木に相談したところ、自民党公認である事(猪木はスポーツ平和党=会派は民社党と組んだ)に難色(実は強く反対された?)を示され断念した経緯がある。

[編集] その他

* 棚橋弘至がドラゴンスリーパーや逆さ押さえ込みなどを多用して「ドラゴン殺法」と形容するが、そのスタイルは藤波が腰を痛めて以降のものであり、不適当である。真のドラゴン殺法は初期のハイアングルなドロップキックなどの飛び技を多用した躍動感あふれるスタイルとグラウンドレスリングの巧みさを指す。
* 社長時代、新日本の経営は実質的には坂口征二CEOが実権を握っており、本当の意味での経営手腕は疑問符が残る。